最上三十三観音

国内有数の歴史を持つ、みちのく山形の霊場

 最上三十三観音霊場は、開創を約600年前まで遡る国内有数の歴史を持つ巡礼地です。その範囲は、北は最上郡鮭川村、南は上山市まで広がり、最上義光公の領地と重なります。
 最上川を添うように点在する札所には、全国各地から観音信仰篤き善男善女が訪れます。

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最上三十三観音 巡礼縁起 「光姫伝説」

 当山には最上札所開創にかかわる悲しい恋の物語が伝わっている。山形城主五代目頼宗公のひとり娘・光姫は幼いころより観音経をそらんじるほどの篤き観音信者でありましたが、その美しさゆえに求婚するものがあまたであった。地元・庭月領主横川大膳国影もまたその一人であったが、当時としては山形の大名家と小さな庭月領主との縁談はまさに門前払いの体をなしたことは当然の成り行といえた。
 しかし、横川大膳は姫への慕情捨てがたくなんとしても庭月城にお連れしたいとの家の子郎党ともども二度にわたる刃傷に及ぶが、無念にも姫の警護のものに捕えられ、山形城下・馬見ヶ崎川にて主従ともども河原の露と消えたのだった。
 これ憂いた姫は出家を発願され、乳母とともに城中をひっそりと抜け出し、巡礼に旅立ったのであった。女ばかりの慣れない草枕に行先も定まらない旅。疲れと心細さでちょっと休むつもりがついうとうと・・・・・。すると、庭月聖観世音菩薩が夢枕にお立ちになり、微笑んでおられた。ハッと想い目を覚ますと不思議なことに枕元に巻物が置かれてあり、第一番若松観音さまから第三十三番までの旅路が示されてあったという。ひと月に及ぶ苦修練行の後、たどり着いた結願三十三番庭月観音は奇しくも横川大膳の領地であった。姫のこころは、観音妙智力により清浄と安らぎを得、つぶらな瞳から涙が一滴境内にこぼれ落ちた。いつの日かそこから美しい百合の花が咲き、その花が姫ゆりと呼ぶようになり境内の光姫塚に今も往事の面影をしのぶことが出来る。
 その後も霊験を求め、全国各地からあまたの善男善女が参拝されるようになり、最上三十三観音巡礼が世間に広まっていったと伝えられる。

最上三十三観音結願証
 志納金 御芳名記入有り:1枚/2,000円 御芳名無し:1枚/1,500円


 当寺院では、最上三十三観音を巡礼なされた方に、「出羽百観音結願証」(志納金/1枚につき2,000円)を発行しております。お求めの方は、事前に電話・FAXにて必ず後予約ください。その際、御氏名を必ずご記入ください。
 また、郵送等による対応はしていません。巡礼を証するもの(笈摺・掛軸・納経帳等)をご持参のうえ、当寺院へご参拝ください。