境内詳細

1 おかげさま門

 当寺院を訪れると、まずはじめに「おかげざま門」があなたをお出迎えします。
 この門は、「今を生きることが出来るのは、皆様のおかげさま」という意味が込められています。この門をくぐるときは、合掌し、頭を下げてくぐりましょう。
 そうすれば、頭を垂れる稲穂のように、実り多い人生となるでしょう。

2 観音のお清水

 おかげさま門をくぐり、参道をおりると亀の水があります。
 この水は、観音堂の下からの湧水であり、縄文時代より湧き続ける聖水です。この聖水を頂き、身を清め、心を安らかにしてから境内へと進みましょう。

3 お滝の不動明王

 お滝に打たれる不動明王さまは、一見すると怖い仏様に見えますが、そうではありません。
 私たちを正しく導いてくれるために、あえて怖い表情をなさっているのです。そして、私たちの煩悩を焼き尽くすために、いつも炎を身にまっとっています。
 炎に包まれてばかりでは、明王様も暑くてたまりません。柄杓で水をかけ、涼しくしてあげましょう。一願成就して、不動明王様もお慶びになられます。

4 無縁仏

 昔は、食い扶持を減らすために、間引きの風習があり、多くの尊い命が失われました。
 また、の普段は穏やかな鮭川も、古来より氾濫(はんらん)を繰り返し、多くの尊い命を奪い、併せて疫病も発生しました。
 それらの魂を弔うために建てられたのがこの無縁仏です。少し鮭川の方向を向いておられます。
 身寄りのない魂が極楽で安らかに眠るよう、今でも祈りがささげ続けられています。

5 鮭延公家臣の墓

 戦国時代に鮭川一帯を所領した、鮭延公家臣のお墓です。

6 びんてんこ地蔵

 参道のを行くとその途中に、びんてんこ地蔵があります。お地蔵様は子供の守り神であると昔から伝えられています。
 「びんてんこ」とは、古来の髪型で、もみ上げを結んだ部分のことです。びんてんこ地蔵さまは、子供が危険な目にあったときは、びんてんこを引っ張り上げ、助けてくれるのです。

7 忠魂碑

 明治時代以降の近代日本は、日清・日露・大東亜(太平洋)などの戦争により多くの若い命が戦場に散っていきました。その御魂を弔うため建立されたのが、この忠魂碑です。この忠魂碑の題字を揮毫(きごう)したのは、日露戦争において、203高地で有名な旅順要塞を攻略した陸軍大将一戸兵衛(いちのへひょうえ)であり、司馬遼太郎作「坂の上の雲」にも登場しています。当時の中央政財界や軍隊では、薩摩・長州閥が跋扈(ばっこ)し、何事にも幅を利かせていた時代でがありました。そのようななか、東北人(青森県出身)でありながら、武勲を挙げ、陸軍大将まで昇りつめた彼は、東北人の星であります。
 なぜ、彼が題字を著した忠魂碑(昭和3年9月2日建立)が境内に残っているか、経緯はよくわかりませんが、題字からは今忘れつつある日本人の心の強さが伝わってくるかのようです。

8 仁王門

 観音堂へと続く山門の前には、仁王(金剛力士)が祀られる仁王門があります。
 仁王は観音様を守る門番であり守護神です。観音様に害をなす者は、その力に遮られて観音様にお会いすることは出来ません。
 2体の仁王様は、それぞれ阿形像(あぎょうぞう/口が開いている)と、吽形像(うんぎょうぞう/口が閉じている)があり、阿(あ)は五十音の始まり、吽(うん)は、五十音の終わりの言葉です。これは宇宙の始まりと終わりを示します。
 少し見た目の怖い仁王様ですが、皆様が清い心で参拝すれば何も問題ありません。

9 鐘楼堂

 この梵鐘は、昭和五十年・六十年の二度にわたり、NHK「ゆく年くる年」の除夜の鐘として全国放送されました。
 実は、現在の梵鐘は二代目となります。初代の梵鐘は、太平洋戦争中の物資不足により、国から徴収されてしまいました。当時は製造から、300年以上経過した梵鐘は、貴重な文化財として徴収を免れましたが、初代梵鐘は293年目でした。時代の流れには逆らえず、国へ捧げることとなりました。
 煩悩を打ち消す梵鐘が、戦争のために溶かされ、武器となったとは、これほど悲しい出来事はありません。現在、二代目梵鐘は平和を願い、毎日の朝夕に荘厳な音色を響かせています。

10 阿弥陀堂/千体仏(鮭川村指定有形民俗文化財)

 千体仏信仰は、現世(この世)に一千の仏さま(観音さま)が現れ人々を救い、来世(あの世)の阿弥陀仏さま(浄土世界)へ導くという教えから生まれました。この千体仏を参拝すると一度に千回拝んだことになり、この世のさまざまな病を直してくれます。
 祈願者は自分の病気を直していただくために、紙こよりを結び、全快ののち、仏さまを一体奉納する信仰が続いています。
 この阿弥陀堂は、お堂としては当山最古の室町期の作です。今も、子授け・当病平癒・全快の仏さまとして篤く信心されています。

11 お稲荷さま

 お稲荷さまは、食物神・農業神・殖産信仰神であり、伏見稲荷大社におわす稲荷神が勧請され、全国で祀られています。
 このお稲荷様のお社は、平成21年にご信者よりご寄進されたものです。庭月観音は、このような信者の皆様の信心によって支えられています。

12 神秘 縄文遺跡
(ストーンサークル/環状列石/鮭川村指定有形民俗文化財)

 昭和63年6月、当山資料館建立中に偶然発見された、縄文時代中期(今から4,500年前)の遺跡(ストーンサークル/環状列石)です。
 見れば見るほど、人の心を引き寄せ、今にも縄文人の心が伝わってくるかのようです。鮭石など、不思議な石もあります。
 何のために造られたのか、今でも研究者の間で議論を呼んでいますが、①縄文期の宗教施設 ②太陽信仰施設 ③墓地埋葬施設などが有力です。いずれにしても「祈り」のためであったことは間違いありません。太古の昔より、当山境内はやはりパワースポットであったのです。

13 如来形座像(鮭川村指定有形民俗文化財)

 平安期に作成された、如来座像です。柔和な姿に癒されます。 (資料館内に保管)

14 観音堂

 現在、観音さまが祀られている観音堂は、江戸時代に戸沢公自らの発願により信徒から浄財を募り、寛文十一年四月(1671年)この地に移転されたものです。落慶法要は延宝四年(1676年)七月三日、円満寺住職、尊純法印を願主にして、盛大な法要が執行されたと伝わっております。
 現在、祀られている聖観世音菩薩は今まで、二代目ご本尊であり、戸沢公の寄進によるものと考えられてきました。
 しかし、平成21年に行われたご本尊の大改修・調査の際の年代測定により、約一千年前に作られたことがわかりました。
 一千年も昔から、皆様の信心により受け継がれるご本尊を、未来永劫伝えていきます。

15 本堂(おいずり堂)

 本堂(別名:おいずり堂)には、おびただしい数のおいずりが納められております。おいずりは巡礼の装束であり、古来より巡礼が結願すれば、当寺院に収めることが習わしでした。
当寺院のご詠歌にも「いままでは おやとたのみしおひずりを ぬぎておさむる にはつきのてら」と詠まれています。
 以前は、結願とともに当寺院に必ず納めていたおいずりですが、車社会となった現在では、おいずり堂を拝むことで、一度奉納したことと解釈され、再び持ち帰り、巡礼に毎回使用します。また、おいずりの色は、両親健在、片親のみ、両親他界で違い、赤・青・白となります。
 亡くなった方のおいずりについては、当寺院にお納めいただく他に、納棺する方法もありますが、当山においずりを納めることよって、巡礼によって積んだ徳がさらに高まると言われます。

16 庭園/四季折々の草花

 当山の池は、上から見ると心の字をくずした形をなしています。このような池を心字池といい、禅宗の影響を受けた日本庭園の伝統的な手法です。
 境内では、ヒメギフチョウ、サンショウウオ、一輪椿など貴重な動植物の生息が確認されています。また、庭月観音の庭園では、四季折々の草花を楽しめます。美しい庭園をご覧になり、心を癒してください。